【名 称】明智光秀の首塚
【所在地】宮津市字喜多696 盛林寺内
【概要】 天正10年に細川忠興の妻玉(光秀の娘)により建てられたとされる。
 この首塚は、大久保谷から移されたものかもしれない。光秀の子、玉は細川忠興の妻で、ガラシャ夫人として知られる。光秀が山ア合戦に敗れて殺されたのち、宮津の玉のもとへ届けられて、それが、この寺の供養をうけたという。